幼名、犬千代。 織田信長の家臣として「槍の又左」と称された武勇の人。のち豊臣秀吉の将として、金沢城の主となりました。秀吉の死去により徳川家康と共に後継を競う間になりましたが、慶長4年3月3日に急逝され(62歳)、4月6日に宝円寺にて二世象山和尚により葬儀を行い、8日に野田山に葬られました。 法号 高徳院殿桃雲浄見大居士